スタジオ八百萬さんとのコラボ企画で酒蔵探訪記となりました。2017年7月23日あいにくの雨空でしたが、酷暑が続いていたので、ちょっとホッとした感じで出発!
最初に目指すは川西町の樽平酒造
初期の「美味しんぼ」にも何度か登場し、作る酒は純米酒以上、本醸造などの醸造用アルコールを使用したお酒は作っていません。玄関に入るなり今もなを息づく歴史をず~んと感じる造りの建物でなんと渋い唐笠の行列で、一瞬にしてタイムスリップ!酒仕込みの現場に行くまでの通路には、古い細工の施された箪笥やかつて配達に使われていた甕などが飾られいます。
「社長、これ、いつ頃のものですか?」
「私の生まれる前からだねぇ」御年83歳、12代目当主 井上京七氏のなんとも味のある返事。見学の間この「私の生まれる前から」という言葉が何度も登場してくるわけです。
酒造りは神事にも深い関係があり、いたるところにしめ縄やお札が祭ってありました。
お酒の仕込みは冬が本番、今の時期は、お酒は熟成中という事もあり、仕込蔵はし~んとして、また道具も整然と片づけられ、次の出番を待っている、という様子。これまた一つの風景です。今ではホーローのタンクで酒を仕込むので、かつての仕込み桶は、今は酒粕の熟成用に使っているとか、麴室の壁両側に高く積み上げられた小箱、「こんなこと、手間暇かかるけど、きっちりしないと酒になった時、味でわかるんだよ」とか、「醸しのかい棒も、見られてないからちょっと手抜き、なんてするとすぐ味でわかるからよ、信頼関係なんだよね」
その昔は、樽平酒造に杜氏がいなかったので、越後杜氏に来てもらっれいたそうです。杜氏、麹屋、素屋、桶屋がチームとなって酒仕込みをするために、各地の酒蔵を回ったそうです。蔵付き酵母のことも理解したうえで仕込みをするのが仕事、少しでも酒の具合が悪くなればその酒蔵の存続にかかわる大仕事、ギャランティが地元従業員の3倍以上と、とても高額だったそうです。のちに酒蔵の従業員に醸造を専門に勉強させて我が蔵の杜氏を育てていくようになっていったそうです。
「越後杜氏の知恵で、タンクの下に互い違いに柱かませったべ、これのおかげで大震災の時タンク倒れなかったのよ。上から少しは溢れたけど、酒の被害少なくて税務署にびっくりされたのよ。でもよ、被害の量申請して控除されるよりもよ、厚い壁にヒビ入ってそっちのほうが大変だったのよ。。。」( *´艸`)
「酒米は、山田錦は玄米で仕入れてるが、ササニシキは社員の田んぼで育ったものを使っているのよ、35%とか精米してしまうと、どれがどれだかわかんなくなるから、社員の田んぼの米だと間違いないからよ」シャンパーニュでいうところのレコルタンマニュピュランなんですね。
とにかく井上社長のなんとも言えない語り口調に引き込まれ、所要時間1時間弱の予定が2時間強という、でもあっという間の時間でした。
最後に、社長と一緒に撮影したものの、逆光ピンボケで。。。ごめんなさい。。。